みのたけ暮らしの難しさを感じる

みのたけ暮らし

こんにちは、しばママです。

みのたけ暮らしを勝手に勧めている身ですが、難しいと感じることが多々あります。今回は「みのたけ」で暮らしていくことの展望と課題について考えてみたいと思います。

そもそも何故「みのたけ」が良いのか

では、そもそも私が「みのたけ暮らし」をすすめているのは何故かというところに触れていきましょう。

私が「みのたけ」が良いと思う理由は「ラクだから」です。自分の軸を持って「私は私でいいんだ」と自分で自分を認められたら本当に心が強くなれると思うんです。

みんなそれぞれ自分の「みのたけ」があって、自分を認め、違いのある他人も認められたら本当に平和ですよね。

そして本音を言うと、私は自分に自信がなく劣等感の塊だからこそ、「おいおい、大丈夫だ。そんなもんだ」と自分自身を認めてあげたいのです。

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静かなる重いプレッシャー

仕事でも学校でも家庭でも趣味でもなんでも、生きていると他の人たちとの関係がありますよね。そして自分と似ている価値観の人もいれば、正反対の考え方の人もいる。計算が得意な人もいれば、裁縫が得意な人もいる。千差万別いろんな人がいます。

たくさんの人々と出会い、お互いに影響し合っているわけです。話さなくても影響されることってありますよね。

良い影響を受ける場合もあれば、そうでない場合もあり、後になって良かったと思える場合もある。

たぶん私は根暗な人間なんだと思いますが、周りの人たちが輝いて見えるんです。仕事をしていれば、同僚の仕事ぶりや成績に「私も頑張らなきゃ」と勝手にプレッシャーを感じます。

家庭でもやはりプレッシャーは忍び寄ります。子どもの睡眠や勉強、習い事、どれだけ関心を持って子どもと接しているか・・・こうしたほうが良いみたいな情報に惑わされて・・・

人と関わるということは比較対象ができるということでもありますよね。比べようと思って比べている訳じゃないんです。もうそういう思考に勝手に陥る時があるんです。

みのたけを阻むもの

みのたけで生きていきたいと切に思っているわけですが、それを阻むもの それは「疲労」です。他の人々と関わり合おうと元気であれば「へえ~」で終わるんです。

元気であれば、他人と比較なんてせず、受け入れ、さらにはエッセンスをいただき自分の成長にまでつながるわけですよ。他人からの刺激は自分の成長にもつながるエネルギーになるんですよね。元気ならば。

似た者同士が心地よいのもラクだからですよね。ただ、やっぱりマンネリしすぎは良くないのかもしれません。ほどほどに刺激を受けながらラクな暮らしをすることが理想です。ただ、刺激を受け止める元気がないとダメージが大きすぎて潰されてしまいます。

みなさん、元気ですか?「自分らしく」他人の刺激も「へえ~」と受け止められますか?

何事もほどほどがいい

風水では「中庸」という陰と陽のバランスが取れている状態が良いとされています。仕事に家事、学校、勉強、趣味、付き合い・・・頑張りすぎなんだよ!!

疲れていないと思っている人、疲れを自覚しているのに休めない人、休みたいのに頑張っている人、もうみんな休みましょう。

元気が出たら、またやればいいじゃん。そう思っても、なかなかできない世の中です。

だけど自分でそう思うことはできる。

1ミリも変わらないかもしれないけど、自分で自分を労わって慰めて癒してあげたら少し元気でてくるかもしれませんよね。

何事もほどほどがいいんです。

まとめ

ちょっと今回は疲れているためか、自分自身にも「みのたけ暮らし」を再認識してほしくまとめました。

ストレス社会で生きている私たちは「疲れ」とうまくやっていくしかないんですよね。疲れが溜まってしまうと「みのたけ」なんて呑気に考えることも難しくなります。だから、何事もほどほどに休み休みやったらいいんです。

みんなが「みのたけ」で暮らせますように。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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